昭和のバイク

 昭和という時代は遠い過去の物になりつつある。ある世代ではノスタルジックな印象の中で風化したセピアに色褪せた写真のように思えたり、ある人にとっては近代では許容し難いモラル無き悪の時代と考える事もあるのだろう。いずれにしても戦争が終わって僅か20と数年後に産まれた僕らにとっては、貧しさと豊かさ、テクノロジーと文化が加速度的に飛躍する国家や世界という概念の成長期にあった時代の、狂気と興奮の中に生きていたという事になるのだろう。

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 今となっては細すぎるタイヤ径にキャブレターという原始的な燃料装置、単純に重力のみでタンクから供給されているガソリン、このバイクが作られた80年代前半でも新しくはなかった2気筒OHVのエンジンが叩き出す80馬力以上と、チューブを使うホイールとタイヤで200kmの壁を超えてゆく。そんな40年も前の機械は近代でも充分な性能を持ってはいる。足らないのは昭和産まれの僕らのモラルが問われているように、環境性能やら安全への配慮が欠けている事くらいだ。

 とにかくいつの時代も若者は元気で足下が危ういように、この時代のバイクもブレーキもサスペンションも近代と比較すればローテクで、元気だけは今でも遜色ないエンジンスペックを持っているものだから近所によく居た昭和の悪ガキのような雰囲気といったところだ。対して近代のバイクは素晴らしく優秀なテクノロジーによりルマンの、あるいは倍以上の力をコントロール可能にしていて、さながら優等生の頭脳とモラル持った安全な怪物のようなものに進化している。

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 当時は明らかに大人や社会に嫌われる存在であったこの昭和という時代の乗り物が、近代ではその頃の若者であったはずの大人となった層が乗り続けていたり、またはリターンライダーと称する人達が再び乗りはじめることが日本バイクシーンのマスとなっている。考えてみればアニメや漫画、ゲームなども当時の大人が嫌っていたものが市民権を得たのは僕らとともに、バイク、アニメ、漫画といった文化が存続した事が大きい。反面、演歌や民謡、様々な過去の大人の文化が衰退した。

 これを読んでいる友よ。
俺たちは大人になれず、そして過去に存在した文化を壊しちまっただけなのかな?

 どうしょうもなく我儘な男がいて、バイクを作る以外になんの興味もまるでないような、そんな男が設計したフレームが根幹となるこのルマン3だ。たった1人の職人の名前が付けられたトンティーフレームは、昭和らしく我儘で、ライトからテールまで一直線に伸びて終結する。それが何を意味するのかはバイクをカスタムしたいと思った人ならば簡単に理解出来るだろう。

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僕らは昭和のそうした我儘な大人達が作り上げた汗と膨大な時間の夢の結晶の上に胡座をかいて座り、都合よく過去を選別して生きてきたし、自分達が好きな文化やら正義のみを残して発展させてきたように思うのだ。この昭和のバイクにまたがり、疾走していると若い危うさを感じ続ける事になる。あまりにも荒削りで未成熟なテクノロジーやオートバイという文化を嫌と言うほど感じる。

それはもう、昭和の若者そのものであり、まだ真新しかった戦後の世界の息吹を感じるのだ。だからこそ僕らの当時の若い感性と合致し、興奮した。

近代のバイクは優れている。
これは当然の事だろう。
あらゆる意味で安全と高い性能の両立を突き詰め、成熟した大人の力や魅力を見せつけてくる。大人になった僕らに見合った素晴らしいモノなのかもしれない。

昭和のバイクとは何か?
それは荒削りで、技術の過渡期や文化の過渡期、少年時代の思春期のソレと似た危うさを持った機械であり、僕らと反目しあった当時のオトナや僅かな人や人数の情熱や魂が作り上げたマシンである。まさしくそれが昭和であり、世界の中の日本そのものの立ち位置でもあった。

若者のバイク離れとはいうが、成熟しまさに終焉を迎えてしまうかもしれない枯れたガソリンエンジンと、大人びたテクノロジーの進化した乗り物が、果たして若者と合致するのだろうか?
答えは勿論、今の若者が持っているのだろう。
だが、昭和のオートバイとはつまり、そういったモノである事を僕らは忘れてはいけないと常に考えているのだ。

この記事はくらさんNoteより転載しました。