金子幾夫さん 2022/11/12(土) 『バイクの輪』ゲスト放送予定

金子幾夫:「くらさんの今日もツーリング日和」バイクの輪 ゲスト

2022年11月12日土曜日20時放送のくらさんの今日もツーリング日和  「 Motorcycle friendship」バイクの輪ゲストは、高橋篤さんからのご紹介で猫さんこと金子幾夫さんにご出演いただきます。

埼玉県入間郡在住。73歳。バイク歴53年。 BMWモーターサイクルオーナーズクラブ埼玉西支部長。

バイクの乗るきっかけになったのは、父親が整備士としてバイク修理店で働いていたことから。バイクにのめり込むきっかけは、20歳の時、友人がCBM250、CP77、W1、マッハⅢなどを乗り回し、それではとCB750を免許取得前契約し、不退転の覚悟で府中試験場を受験し、2度目で合格。当時試験コースは軽四輪と同じコースで、先を走っている軽四が不合格となり、前を歩いて横断退場。金子さんは正しく停止して不合格者を見送ったことで安全運転は分かったと思ったのか試験官はその後、即終了。掲示板に合格ナンバーが表示された時は、歓喜極まりそれからバイク人生が始まり、以来乗り続けている。

後年、父親から得意そうに聞かされた『丸正(ライラック)のバイクはBMWと同じ水平対向エンジンだった』とは、今、思えばマグナムR92 500CCの事かもしれないと。定年退職後、縁あってライラックが参考としたBMW R50に乗る機会を得て縁を感じている。

自己紹介:(BMWモーターサイクルオーナーズクラブWEBサイトより)
http://bmwmocj.com/kaiinkojini-2.html#0014kaneko

現在の愛車は、BMWR50(1956年製)、BMWR100RS+ワトソニアンモナコSIDECAR。
BMWR50は、10年ほど前、不動車を買って貰いたいと神奈川のオーナーから連絡が有り、菅原会長に同行して見て貰ったところ、キック圧縮が有るから手を掛ければ乗れるようになると助言貰い個人購入。ところが、エンジン掛ってもミッションから異音でミッション交換。6Vは車検光量足らないしETCは使えないので12Vに電装全て交換。ジェネレーターはシャフトがズレて回転しリークするため充電せず。タイプエンジンはオイルフェルター無いので5万キロをめどにエンジン取り外す事を前提にしていて、クランク内にオイルを溜めるオイルスリンガーはエンジン降ろさないとスラッジを取ることが出来ない。シリンダーを外さないとピストンが焼き付いた過去は判明しない。これらのこと等から全てに手をいれることになった。乗れるようにとの初期整備は、快適に乗れるようにすることとは大違いを実感したそうだ。ガソリンタンクは長距離用に32Lタンク(サイドカー用)に交換し、時速100Km以下で巡航すれば一度の給油で岩手県まで走る事が出来るようになった。60年以上前のバイクだが、キック一発始動!パーツはOMEなどで入手出来るので、絶好調かつ安心に乗っていられる。『歳を重ねたライダーは速度より雰囲気の良いバイクライフが楽しい。』

BMWR100RS+ワトソニアンモナコSIDECARは、運転しやすいよう改造してある。アールズホーク、ホイールはSIDECARメーカーのワスプ製15インチチューブレスにし低重心化にしてコーナリング、登坂力向上。トップギヤ6%オーバードライブギヤ比に入れ替えて、高速巡航回転数500回転低減。渋滞対策として電動ファン自作取り付けされている。
過去の車歴は、CB750フォア(砂型クランクの初期型)、ゴールドウイングGL1000フラットフォー(1年ソロで乗り、のちにサイドカー取付)、BMWK100RS、BMWR80ST(のちにサイドカー取り付け)、R100RS(ツインサス)、XL250,セロー225、CD90と乗り継いできた。

クラブは、BMWモーターサイクルオーナーズクラブ http://bmwmocj.com/  (埼玉西支部長)、日本サイドカー連盟(JSCは略称)https://www.jsc.org/index_01.html(埼玉第一支部)に所属。

何故バイクに乗るのかの質問には、
「旅先の空気感を感じられるのはバイクと自転車しかなく、移動速度でバイクが勝る。」という金子さん、番組では「東京国際女子マラソン選手権大会」でサイドカーでTV中継したときの裏話(後述)や、4台に1台は無保険車なので保険には必ず弁護士特約をつけた方が良いことなどお話しいただきます。



プロフィール:

氏名

猫さん 金子幾夫(かねこいくお)73歳

住まい・職業埼玉県入間郡三芳町
バイク歴20歳から
所属クラブBMWモーターサイクルオーナーズ クラブ 埼玉西支部長
日本サイドカー連盟 埼玉第一支部
愛車

・BMWR50(1956年製)

・BMWR100RS+ワトソニアンモナコSIDECAR

過去の車歴

・CB750フォア(砂型クランクの初期型)

・ゴールドウイングGL1000(フラットフォー)→1年ソロで乗り、のちにサイドカー取り付け

・BMWK100RS

・BMWR80ST(のちにサイドカー取り付け)

・R100RS(ツインサス)

・XL250

・セロー225

・CD90

SNS等BMWモーターサイクルオーナーズ クラブ
WebSite: http://bmwmocj.com/日本サイドカー連盟(JSCは略称)https://www.jsc.org/index_01.html

活動・イベント・告知など:

毎年5月ゴールデンウィーク中に、日本サイドカー連盟主催によるサイドカーフェスティバルが2泊3日で開催され、国内外の色々なサイドカーが集まるイベントがあります。詳細は日本サイドカー連盟のホームページを参考にされてください。

バイクに似合う曲・好きな曲リクエスト:

ABBAは昔からファン。この曲のミュージックDVDは、メンバー4人が乗ったロールスロイルのオープンカー走行場面が撮されており、BMWR69Sはバイクのロールスロイルと呼ばれ、静かに走行するその姿はBMW旧タイプのバイク走行の姿と重なります。

♪ ABBA『THAT’S ME』 ♬

関連リンク:

プロフィール画像:

2003年 BMWフェスティバルin長浜にて

クラウザー4バブルヘッド

後記記事『雪上ツーリングの思い出』参照

後記記事『雪上ツーリングの思い出』参照

GL1000サイドカーで雪上ツー.子供もサイドカーで参加

親子でサイドカーツー

別冊モーターサイクリスト最終号のインタビュー記事

以前のフェスティバル 埋め尽くされたbmwモーターサイクル、サイドカー。デーラー関係なしの大会では大きい大会。

「東京国際女子マラソン選手権大会」

今でこそメジャースポーツとなった女子マラソンですが、1983年「第5回東京国際女子マラソン」開催するにあたりサイドカー中継協力の申し出でがTV朝日より会長に打診されました。条件は、スポンサーの関係でBMWでなく、ホンダ車が望ましいとのことで当時GL1100+ワトソニアンモナコ右カーの払が指名を受けました。

さらにもう一つの条件が左カーでの撮影でした。会長の工場で左フレームに付け替えられ(ボートはそのまま)、風防周りを外し床にはカメラの雲台が取り付けられるよう加工しました。

サイドカーオーナーは、最初のサイドカーが左カーであればその後もずっと左カーを乗り続けるのが一般的です。その理由は、その運動特性にあります。ブレーキを掛けると本車は減速し、カー側は慣性の法則により前に押し出ようとします。アクセルを空けると逆になります。したがって、左カーから右カーに乗り換えるとアクセルのオン・オフ、プレ-キング全て反対の特性となり(パニックブレーキを掛けるとブロック塀に張り付きそうになったりと怖い思いもしましたが乗りこなせるようになりました)、サイドカーオーナーとなってから、その後乗り換える機会はあっても最初のサイドカーと同じ仕様のカーが一般的です。
さて、開催数日前、六本木のTV朝日(現在のピルになる前の頃です)に移動中継車への改造のためサイドカーを持ち込みました。リアトランクの中にはダンバーが効かなくなるほど多くの4輪車用のバッテリーを積みました。写真に写っている鍋が乗ったようなアンテナは画像の送信アンテナ(もう一本は音声用)です。 カメラマンは製作技術部撮像課開口さんです。

サイドカーからはパス2台の移動中継車を経て、途中33台の国定カメラ(ピル屋上など)やヘリコプターを介し本社へ送られる仕組みです。カメラマンはバス中継車から無線で指示を受け、それを私はインターコムで聞きながら指示されたコースを走ります。 準備が整ってカメラリハーサルは第一京浜から平和島折り返し点までの本番と同様の往復コースで始まりました。 交通規制がかかっていない国道を、サイドカーとパス中継車の間に一般車両をあえて割り込ませたり、電車のガード下など電波状況が悪くなった場合を想定してのリハーサルは陽が傾くころ終わりました。サイドカーはTV局預かりとなり、その夜は六本木の街へ招待されスタッフ行きつけの店へご一緒させていただき楽しい一時を過ごさせていただきました。
この大会はロス五輪選考を兼ね行われ、増田明美選手もエントリーしていたものの数日前の怪我で出場取り消しとなり一抹の不安の中で始まりました。開催日当日の朝、局から廻されたハイヤーは自宅前で1時間程前から待機していて指定された時間になって運転手は自宅のベルを押し、TV局の仕事は時間に正確でうるさいほどだなと関心しました。30分ほどで局へ到着し、3号移動中継車として国立競技場に向かいました。

スタンパイの場所は競技場を出た絵画館近くのところで、すでに先導の白バイが待機していました。スタート開飴時間が過ぎてもなかなか選手が現れず緊張して待っていること数十分。果たせるかな英国のバーレイがトップでやって来て暫くして第二集団の中に日本人選手を見つけました。

皇居の沿道に美智子妃殿下が選手に手を振られてその場面を撮るとの指示(当然、直前までこのことは知らされておりません)がされました。コースは当然のこと片側車線通行止めの中、或るときはランナーと同じ速度、また、或るときは第二集団からトップまでの距離を撮影する場合として法定速度以上で進みました(当然先導白バイを追い越す場合も黙認されました)。

38km過ぎの外堀沿いの飯田橋から四ッ谷見附までの上り坂ではアイルランドのレジナジョイスがSBの佐々木七恵選手(佐々木選手は瀬古選手と中村監督のもと一緒に練習して来たそうです)との一騎打ちとなりました。その先の道路は幅員が狭くパス撮影が叶わないためサイドカーならではの撮影シーン展開となりました。選手サイドからの撮影要求に途中車線幅が更に狭くなり対向車線へはみ出し走行での撮影をしデッドヒートしている選手の横顔を撮ることが出来ました。

その事は、その夜行われた「打ち上げパーティ」で番組制作部長より「パスで撮れない空白時間はどうしようかと思っていたところ良い絵を撮ってもらい大変良かった」との言葉をもらいました。レースは佐々木選手が競り勝って日本人選手として初の表彰台に上がりました(浅井えり子は5位入賞を果たしました)その後日本の女子マラソンの台頭はご承知のとおりです。

私たちは、レース終了を見届ける前に局に帰り機材を外し自宅に戻りました.帰り際、「今夜、打ち上げパーティ予定していますのでお待ちしています」とのお誘いに断る理由も無く、当然のことと了解し、配車されたタクシーにて局に向かいました。パーティ会場では教百名に及ぶ関係者が雑踏のように入り乱れる中、乾杯の声をきっかけに美味しい料理と酒をいただき「TV局のイベント打ち上げとはこのように行われるものなんだ!」とぴっくりいたしました。 2次回3次回と引き続き誘われて六本木の街でTV朝日スタッフと共に梯子酒の夜となりました。(金子)

http://bmwmocj.com/kaiinkojini-2.html#0014kaneko  より引用

雪上ツーリングの思い出

「雪上ツーリング」は昭和50年台後半からJSC埼玉第一支部が主催しました。この記事は二輪車専門誌「バイカーズステーション」の記者;松本恵さんが昭和63年に同行記を書いたものです。
高速道路走行はメッチャ寒かったです。私の防寒対策は、水冷エンジンなので、アルミ板でシリンダーを囲い足先防寒対策、ハイウエーパトロール並の大きな風防、手元は「そば屋のハンドルカバー(グリップヒーターは太くなるのでハンドルでなく、カバーの内側に取り付け)」、上着は冬の登山用羽毛服です。走行上の注意点は、チェーン着装前の長い上り坂は、前車との車間距離は見極める必要がありました。何故なら坂の途中で止まったら再度スタートしても進めません。その場合、助走路がある坂の下まで下り、再チャレンジとなります。
また、旧タイプはキック始動なので朝掛からない場合、押し掛けは空転し出来ません。その時は、旅館の囲炉裏にかかっている鉄瓶の熱湯の出番です。シリンダーやキャブにジャーと掛けました。
今思い出してみると大変寒かったけれど楽しかった貴重な体験でした。
当時は高速80km制限で、また、サイドカーの2人乗りは合法であることを、たまに知らない料金所のおじさんがいて、ガンとして「2人乗りはサイドカーであっても2輪と同じ進入禁止だからの一点張り」に遭遇した当クラブ員のSさんもおりました。JSC本部には関西?方面で、高速道路上でパトロールカー乗務員からも同じ事を述べ、切符を切られたとの情報も寄せられた時代で、現代とは隔世の感がありましたね。
さて、話を本題に戻します。今回、この雑誌の記事は、紙面構成の都合上、4A見開き2ページで、写真と文面の長さから、文字と写真が重なり、文字もサイズが小さくなったため今回皆さんに伝えるには紙面をそのままスキャンでは文面判読出来ないと思い、文字起こししました。コロナの折、外出ままならない中、サイドカーの楽しみ方の一つとして皆さんに知っていただけたら幸いです。

(以下本文)

サイドカーで遊ぶ雪上ドライビング

2輪車にとって、雪は歓迎すべき物ではない。しかし、第3の車輪を持つサイドカーとなると話は別だ。毎年、雪の便りが届くと、雪上でのドライビングを思う存分楽しんでいるサイドカーマニアたちがいるのだ。
今回は、日本サイドカー連盟埼玉第一支部恒例の「第10回雪上ツーリング」の模様を、サイドカー同乗記を兼ねてお届けしよう。
東北自動車道をサイドカーの一群が、雪を求めて北上していく。ちなみに、私はパッセンジャー初体験(もちろん、運転したこともない)。とにかく、サイドカーなるものに初めて乗ったわけで、すべてが新鮮だ。なにより高速道路を堂々と2人乗りしているのが痛快である。
カーからの眺めは、2輪でもなく4輪のそれでもなく、独特のものだ。カーの中の着座姿勢が前方に足をまっすぐ投げだした低いものなので、間近を路面がすごい勢いで流れていき、なかなか迫力がある。ビデオで見た、F1マシーンのコクピットからの映像を思い出してもらえばいい。
乗り心地も、硬めでスポーティなものだ。路面の継ぎ目をゴツンと拾うのだが、ショックは1回で収束される。レーンチェンジでよれることもなく、そのフェーリングはクラッシックスポーツカーに近い。要するに横に乗っていても、グニャッとした剛性不足を感じることはなく、高速巡航でも不安感を覚えることはなかった。
同乗させてもらったサイドカーは、水冷フラットフォアのGL1000にワトソニアンのモナコを右側に付けたもの。無線機も装備している。本車は最後の2年車検を取ったワンオーナー車ということだが、快調そのものだ。図太いトルクで400kg近い車重をグイグイ引っ張っていくのが頼もしい。ちょうどパッセンジャーの真横にエンジンがある訳だが、水冷ということもあり、エンジン音は思ったよりも気にならなかった。
高速道路を降り、いよいよ雪を求めて奥日光へ向かう。途中、いろは坂を通過したが、ここでサイドカーのドライビングテクニックをじっくりと見せてもらうことができた。
ドライバーの金子さんは、マラソン中継カーの運転経験もある、サイドカー歴7年のベテラン。繰り返すタイトコーナーを、手慣れたスロットルワークで抜けてゆく。コーナー手前で、ソロに比べて1段低めにシフトダウンし、カー側の右コーナーではスロットルオン、逆に左コーナーではオフで回り込む。腰の入った体重移動がポイントだ。左右のコーナーリングの違いは、頭では理解していたものの、実際に横で見ているとやはり不思議に思えてしまう。だが、右と左でスロットルワークを間違えてしまうと、アウトに飛び出したり、果ては転覆ととんでもない目に遭うそうだ。
とはいうものの、やはり面白くてしょうがない。リヤタイヤがドリフトしているのか、硬めのシートを通じて伝わってくる。横Gもかなりなものだが、カーの中でふんばりイン側に腰を入れれば良いことに気がつくと、すっかり自分もドライビングに参加しているつもりになった。こうなると、面白さも倍増する。もっとも、パッセンジャーが下手な動きをするとドライバーは非常に迷惑らしく、金子さんは運転しづらかったかもしれない。まあ、よしとしよう。
山並みに白い雪がちらほらと見えるが、今年は暖冬ということで幹線道路を走っている限り、雪の気配はない。皆の期待が裏切らなければいいがと、だんだん心配になる。
そんなときだった。隊列が急に左折を始め続々と国道から山の中へ入り込んだ。次の瞬間、銀色の道が目の前に現れたのである。
待望の雪だ。皆の走りが喜々としてくるのがわかる。3輪の滑り具合を心底楽しんでいるのだ。
重いGLも、慎重なスロットルワークとステアリング操作で進んでいく。考えて見れば1000CCのビックバイクが、雪の林道を走るさまはかなり異様である。サイドカーでこそ可能なことだ。行き交う車もほとんどなく、貸し切りようだ。空気も本当にうまい。
新雪の感触を楽しんでいるうちに、道は上りになってきた。ここでチェーンを装着する。機動力をさらに増すためだ。金子さんのドライビングにも熱が入ってきて、リヤにより加重をかけるライディングフォームとっている。振り返ってリヤホイールに目をやれば、右に左にスライドしながら懸命にグリップしようとしているのがわかり、つい見ている方も力が入ってしまった。乗り物の魅力を操ることとするならば、サイドカーはその醍醐味を充分にもっているだろう。
今回の雪上ツーリング。元気な走りを見せていただいたのは、やはりBMW軍団だった。軽量で下から粘り強いフラットツインの本領を発揮したわけだ。中でも,15インほどこしホイールにスパイクタイヤを履いた1968年式のR69Sなどは、アイスバーンに近い路面をかなりのアベレージで駆け抜ける。これには驚いた。また、フレームをはじめ、走りに徹した改造を施したカワサキW2SS改も、新雪の中を元気に走り回っていた。
サイドカーはもっとおとなしい乗り物だと思っていた。それが目の前にいるドライバーたちは、空き地を見つけると喜んで入っていき、雪だらけなってジムカーナさながらのドリフト大会を楽しむ。飾っておきたいような古いBMWも、オーナーたちは何処吹く風といった具合で夢中で遊んでいる。壊れないかと、見ているほうが気をもんだくらいだ。
しかし、それは余計な心配だった。旧車とはいえ,走り屋を自負する以上、ちゃんと入念な整備と改造が施されている。国産の部品を流用したり、なければ自分で造ってしまう。純正にこだわらずに、耐久性や剛性の確保はもちろん、より早く安全に走るための性能を追求しているのだ。この車造りがサイドカーマニアにとっては、もう一つのたまらない魅力なのだろう。だから仲間同士の情報交換も非常に盛んだということだ。
すっかり感心して、皆の雪遊びを見ているときに、あるオーナーが何気なく言った。「サイドカーは置物じゃないんだから、飾っておくだけじゃだめだよ。元気に走り回ってこそ、本当の面白さがわかるのだから」。この言葉が強く印象に残った雪上ツーリングだった。

サイドカーの特性とツーリングの思い出。

サイドカー運転の速い上達はサイドカーグループに加わり山道ドライブについて行くことです。自己流だといつまでもゆっくりの速度で体が覚えてしまいマスツーリングについて行けません。
バイクは倒せませんからハンドルの切れ角度に応じたコーナリングとなります。その時、ヘヤピンコーナーではバイクは垂直に、ハンドルはコーナーの外側へ戻ろうとします。当然それを戻そうとハンドルを無理にねじ伏す必要があるわけですからそれが続くと腕が痛くなるほどです。それらの対策としてアールズホークや車高を下げる改造が有効となるのです。フロントホイールを1インチ下げるだけで大幅な改善となります。

サイドカーツーリングの思い出。

3輪なのでスキー場へチェーンを履いて行った思い出はバイク記事の通りです。またGL1000サイドカーの単独ツーの思い出は、三陸海岸を南下した時のこと、リアス式海岸は、漁港を出ると山道のカーブの連続で、雨の中何度も繰り返した末、旅館目前で洗車するとリヤホイールのスポークが5本ほど折れていた。近くにバイクショップがあり整備スペースを借り、タイヤも外し、折れたスポークの反対側のスポークを移植。ニップルをキンカンと叩きながらテンション張り間引いたホイールの完成。もちろんそこから帰宅への道中は一切ドリフトかけないでやっと帰宅しました。また、その時ショップ店主は出前蕎麦を振る舞っていただいた上、作業に掛った仕様料も受け取ってもらえません。このことは深い思いでとなりました。臨機応変で困難なアクシデントも工夫で解決するノウハウはクラブの先輩からの教示のたまものでした。

FMやまと「くらさんの今日もツーリング日和」は、スマートフォンやパソコンで以下リンクボタンより、放送時リアルタイムでリスニングできます。(アプリ無しで聴くことができます。)https://www.jcbasimul.com/radio/730/

http://fmyamato.co.jp/news/22170/ アプリ『レディモ』に対応! スマートスピーカーにも対応!


「バイクの輪」ゲスト出演放送予定

出演者一覧:https://motocar.jp/motorcycle-friendship/948/

FMやまと「くらさんの今日もツーリング日和」毎週土曜日20時放送

Motorcycle Friendship『バイクの輪』コーナーでは、ワールドチャンプ・プロレーシングライダー、チーム監督、バイクメーカー社長や、芸能人を含む200名以上のライダーが出演!毎回バイク乗りを紹介して繋いでいる。 スマホ、PCでアプリなしで、放送時リアルタイムでリスニングできます。 https://www.jcbasimul.com/radio/730/


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